「歴史は悲しみの上に成り立つけれど、人は喉元すぎれば熱さを忘れる。だから忘れないようにしないと」
この映画の試写会場でお会いした、代島治彦監督の言葉が心に沁みます。
今日、6月23日は「沖縄慰霊の日」。平和の祈りを込めて、この映画をご紹介します。
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『ゲバルトの杜〜彼は早稲田で死んだ〜』
(監督:代島治彦 2024年・日本)
東京大学が授業料の引き上げを検討、学生たちが引き上げ撤回を訴えている。
6月21日には、学長と学生との間で「オンラインで」対話が行われたそうだ。
呼びかけはSNS、署名もオンラインで……21世紀になって20年以上が過ぎた。コロナ禍をくぐりぬけ、オンラインとリアル、2つの状況を使いこなすことが当たり前の時代になってきた。
東京大学、学生たちの抗議……この2つの言葉で思い出すのが、「東大安田講堂事件」だ。
今から55年前の1969年、1月18日から1月19日にかけて学生たちが東大の安田講堂を占拠、それに対して警視庁が機動隊を送って事態を収束させようとした事件だ。子供の頃は漠然と聞かされていたが、そもそも学生たちが何に憤り、このような事態になったのかを知る機会がないまま、大人になったような気がする。
これを機に、改めてこの事件について調べた。どの情報が正しくてどれがそうでないのかわからないけれど、これは間違いないと感じたことがある。この事件に至るまでの間に、和解のチャンスは何度かあったのではないかと。55年前の現場に行くことはできないけれど、できる限りの想像力を駆使してみて、そう思った。そのチャンスの1つがあったのが、24年前のちょうどこの頃だ。1968年6月にも学生たちの抗議はあり、機動隊も動いていた。このときになぜ、大学側は学生たちに歩み寄ろうとしなかったのか。このときに歩み寄りがあれば、避けられたことが数多くあったのではないかと思う。
今、上映されている映画『ゲバルトの杜〜彼は早稲田で死んだ〜』は、東大安田講堂事件の数年後が描かれている。1972年11月8日の『川口大三郎リンチ殺人事件』だ。関係者等のインタビューというドキュメンタリーパートに加え、川口さんが尋問を受け殺害されるまでの過程を再現したドラマパートがある。ドラマパートの演出は、鴻上尚史さん。
再現劇を見ていると、鴻上さんがよく語る「同調圧力」という言葉が浮かんでくる。個人的に「こんなに痛めつけては」と思っても、それが言えない雰囲気、自分の意志と関係なく他人を攻撃してしまう心理……まるでかつての日本軍だ。鴻上さんはこれを「自我」に対峙する「集団我」と呼んでいる。また、こんな言葉も浮かんできた。かつて夢中で読んだマンガに出てきた「集団催眠」と「集団ヒステリー」という言葉だ。今では日常会話で使われることのなくなった「ヒステリー」という単語を思い出したのは本当に久しぶりだ。マンガでは、主人公たちが集団催眠や集団ヒステリーによって死に至る人を救おうとするストーリーだったから、人間は昔からこのような過ちを繰り返していたのだろう。
「自分を失う」ことがどれだけ恐ろしいことか、この映画が語っているのはそのことだ。世間知らずの学生たちがバカなことをした、一部の過激派の暴走だというひとことで済まされることではない。
ここまで若者たちを追い詰めたものは何だったのか、上の世代ができることはなかったのか、この時代を体験した先輩たちは今、何を思っているのか。この映画が私たちに届けてくれる多くの「?」を受け止めたい。そして世の中の理不尽の中から、自分にできることから変えていきたいと思う。小さな一歩であっても。
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オンラインでは血も流れないし、怪我をすることもありません。でも、授業料が上がることで、どれだけの悲しい事態が起こり得るのか、大学側に想像力をはたらかせてほしいと願うばかり。今の学生たちは、「空気を読む」こと「和を乱さない」ことをよしと教えられてきた世代ではないでしょうか?そんな学生たちが勇気を持って声を上げたことを心から応援したいと思います。
<公式サイト>
『ゲバルトの杜〜彼は早稲田で死んだ〜』
http://gewalt-no-mori.com/#modal
配給:ノンデライコ