気がつくと、毎日のように流れていた栗原心愛さんに関する報道がほとんど聞かれなくなりました。しかし虐待のニュースは続きます。子供の名前を変えて……
心愛さんの父親が逮捕された頃、ちょうどこの映画の上映が日本で始まりました。皮肉というより、DVや虐待がいかに多いかということの証なのかもしれません。
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『ジュリアン』(原題:Jusqu'a la garde)
「私が描きたかったのはモンスターではなく、生身の人間です」
グザヴィエ・ルグラン監督はそう語った。
妻にDVをくり返してきたアントワーヌは、生まれつき乱暴な性格だったわけではない。彼が育っていく中で、彼自身が生きていく術として、彼自身の判断で「暴力」を選択したのだと。
暴力は弱さと隣り合わせだ。アントワーヌはきっと、弱い人間だったのだろう。自分の弱さを直視できないがために、暴力にすがり、妻との関係を壊してしまったのだろう。
DVを「映画」の世界に落とし込むにあたり、ルグラン監督は数多くのアメリカ映画を参考に
した。アントワーヌの娘・ジョゼフィーヌが『プラウド・メアリー』を歌うシーンは、『TINA(ティナ)』で映画の主人公となったシンガー、ティナ・ターナーを彷彿とさせるし、妻・ミリアムの服装は『クレイマー、クレイマー』に出演したメリル・ストリープへのオマージュ。恐怖にあふれるクライマックスのお手本は、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』だ。
ルグラン監督が語るように、アントワーヌは「モンスター」ではない。アントワーヌがジュリアンに向ける一瞬のまなざし、「生まれ変わったんだ」と妻に復縁を乞う姿に、アントワーヌのもうひとつの顔がある。アントワーヌは妻にも子供にも決して無関心ではない。愛の反対が無関心だとすれば、アントワーヌのもうひとつの顔に、希望を託さずにいられない。
グザヴィエ・ルグラン監督(2018年6月21日撮影) |
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映画そのものが世の中を変えたり救ったりできるわけではありません。
でも、このような映画はなくなってはいけないと思うのです。世の中に満ち満ちている悩みや苦しみ、喜びや悲しみ、今起きている現実は、何らかのかたちで伝えられ続けなければならないと思うのです。
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ジュリアンの心の中は、きっとこの映画の子供たちと同じような色彩なのでしょう。
『ファニーとアレクサンデル』 ( FANNY OCH
ALEXANDER )
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『ジュリアン』
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