アラン・ドロンとのデュエット「あまい囁き」等で知られる、歌手・ダリダの映画が公開されます。
映画の中で、彼女が日本語で歌うシーンがちらりと流れます。
「貧しい流しの歌手で♪」…… ツアーで日本に来日したのは、1979年〜1980年頃でしょうか。
その頃の日本は、きっと今よりももっと希望に満ち満ちていたような気がします。
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『ダリダ あまい囁き』 (原題:Dalida)
自由に踊って歌わせて♪
踊らせて 好きなように♪
夢の果てまで♪ ( “Laisser moi danser”より)
映画の中で、ダリダがよみがえる。
軽やかなビート、のびやかな歌声。ああ、この頃は時代そのものがキラキラしてたっけ。1970年代後半、彼女の弟でありプロデューサーであったブルーノ・ジリオッティは、彼女の昔のナンバーをディスコビートにアレンジ、ダリダはダンサーたちに囲まれて華麗なショーを展開していた。かつてジュリエット・グレコやシャルル・アズナブールたちの前座をつとめ、後にエディット・ピアフから「私の次はあなたよ」と賛辞を送られたエジプト出身の歌手・ダリダ。このまま、情感豊かなバラードを歌い続ける道もあったのだろうけれど、彼女は最後の最後まで「過去の人」になろうとはしなかった。ブルーノと手を取り合い、未来へ向かって歩き続けた。
そんなダリダの死から30年以上が経った。
ブルーノは、彼女の未来を「映画」に託す。
ブルーノは、彼女の未来を「映画」に託す。
少女時代、ミス・エジプトの栄冠、歌手としてのデビュー、「バンビーノ」の大ヒット、結婚と離婚、インドへの旅……映画は、ダリダの歌声に乗せてヨランダ(ダリダの本名)の人生を語る。歌手としての人生、そして1人の女性としての2つの人生だ。「(聴衆ではなく)あなたに愛されたい」と恋人をみつめるヨランダ。「夕食をつくって子供を育てたいの」
“普通”に憧れ、結婚と出産を切に願うヨランダだが、芸術の神様は彼女を手放そうとはしなかった。愛する人を失う度に彼女の歌は成熟し、多くの人を魅了する。そして「子供を産む」という道を断念したとき、ダリダの人生はディスコビートに乗って新しい時代へと動き出す。ちょうど日本がバブル経済に向かおうとしていた頃だ。
「僕の使命は今でも当時と同じ。彼女の記憶をただ残し続けるだけじゃなくて、彼女を未来に連れて行くことなんだ」。ブルーノの言葉のとおり。映画の中でダリダは生きている。20世紀ではなく、21世紀を、不死鳥のように。
© 2017 BETHSABEE MUCHO-PATHE
PRODUCTION-TF1 FILMS
PRODUCTION-JOUROR CINEMA
5月19日(土)角川シネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
監督:リサ・アズエロス
出演:スヴェヴァ・アルヴィティ、リッカルド・スカマルチョ、ジャン=ポール・ルーヴ
ニコラ・デュヴォシェル、アレッサンドロ・ボルギ、ヴァンサン・ペレーズ、パトリック・ティムシット
2017年/127分
<本ブログ内リンク>
アフリカ・コンゴの歌姫の物語
『わたしは、幸福(フェリシテ)』(Félicité)
<公式サイト>
『ダリダ あまい囁き』
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