2019年11月4日月曜日

『ばるぼら』(英題:Tezuka’s Barbara)  

113日、文化の日は、マンガの神様・手塚治虫の誕生日でもあります。
この日、第32回東京国際映画祭のコンペティション作品の1つとして、
手塚治虫原作の『ばるぼら』が上映されました。

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32回東京国際映画祭レポート その1
『ばるぼら』(英題:Tezuka’s Barbara)  
原作:手塚治虫
監督:手塚眞

「命」というのは、何と尊く、何と素晴らしいものだろう!
 手塚マンガは、子供だった頃の私にそのことを教えてくれた。
 そして、大人になった今、そのことをあらためて思い返す。
 1989年2月。マンガの神様・手塚治虫が天へ召されたのは、昭和から平成に変わったちょうどその頃。市民葬で献花をしたとき、鼻をすすっていたのを今でも覚えている。同時に、自分の心が 悲しみだけではない、別の何かに彩られていることを感じた。"別の何か"が何だったのかわからないまま時が過ぎたけれど、『ばるぼら』の映画化が、その答えを教えてくれたような気がする。
「命」はつながっているのだ。大好きだった手塚治虫は、 “手塚眞へとバトンが手渡され、その芸術の輝きはつながっていく。だから悲しくはなかったんだ、と。『火の鳥 黎明編』で登場人物のひとり、ウズメが言う。夫を殺した権力者に「女には武器がある。私のお腹にはあの人の子供がいる」と言って立ち去っていく。そのシーンを思い出した。

  手塚眞監督が『ばるぼら』に出会ったのは10歳の頃。大人向けのコミック誌向けに連載されていたこのマンガは、小学生の眞少年にとって『鉄腕アトム』や『ブラックジャック』以上のインパクトを与えた。そして、映像の世界でキャリアを積み、選んだ題材がこの作品だった。自分の体の中に流れている手塚治虫のDNA……自分の体を流れる血潮、父から受け継いだ血の騒ぐまま、自然に撮り終えた本作には、手塚マンガ独特の空気がすみずみにまで漂う。昭和の芸術が、令和になって不死鳥のようによみがえったかのように。
 デジタル化が進み、人との交流も機械をを介して行うことが当たり前の時代となった。「エロティックという言葉をネガティブに捉える人もいらっしゃいますが、僕にとっては、エロティックは人と人とが交流することなんです。こういう時代だからこそ、肉体の触れ合いを見せる映画を撮りたかった」。戦争という時代をくぐりぬけた後、手塚治虫はエロティシズムを"自由"の証のひとつとして描いた。そして手塚眞監督が描く21世紀のエロティシズムは、枯渇した私たちの心を潤してくれる"癒し"を意味するのかもしれない。


第32回東京国際映画祭で観客の質問に答える手塚眞監督
(2019年11月3日撮影)



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<本ブログ内リンク>

この映画のラストシーンに、手塚治虫少年が登場します。
31回東京国際映画祭 速報その『漫画誕生』(The Manga Master)

<公式サイト>
32回東京国際映画祭

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