OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展
「尾崎豊っていったい何だったんだろう…(この展覧会を通して)それを純粋に考えたい」
本展の監修を手がけた須藤晃さんは本展開催の意図をそう表現する。強いメッセージと文学的な匂い、独特な尾崎豊サウンドを誕生させた音楽プロデューサーが須藤さんだ。
尾崎豊を知りたくなったら、彼の歌を聞けばよいのだろう。でも、それだけではつかみきれない「何か」がある。何度も書き直した後がわかる創作メモ、愛用のギターやピアノ、須藤さんに送った直筆の手紙……数々の遺品が展示される三次元の空間に身を置くと、その何かがほんの少し感じ取れる。その空気を吸いながら、彼が生きた時代を考えてみる。デビューは1983年12月、バブル景気の少し前だ。この頃はまだ、ハラスメントやジェンダーというカタカナを目にすることはなかった。インターネットも普及していなかったし、SNSの誹謗中傷を気にする必要もなかった。
そして思い出す。この時代の、もがいていた若者たちのことをーー
若者というのは、いつの時代でもきっともがき悩み、あり余るエネルギーを抱えて生きているはずなのだけれど、この時代に「若者」と呼ばれた人たちのもがきには、なぜだか強烈な印象がある。そしてその強烈な若者像は、時代に愛され、多くの人に求められるようになった。そこには誰にもどうすることもできない大きな渦があって、尾崎豊はまさにその渦に飲み込まれた1人だったのではないだろうか。もっと軽やかに、もっとしなやかに生きていく若者もいるだろう。でも、尾崎豊はそうではなかった。器用な生き方ができなかったというより、そういう生き方をしたくなかったのかもしれない。
「あれほど純粋に生きた人はいない」。須藤さんは彼をそう振り返る。
あどけなさの残る彼の目元をじっと見ながら思う。もっともっと、生きていたかったろうに。生きていてほしかった、と。
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