今日から5年後の7月24日、2度目の東京オリンピックが始まります。
そして、今日、評論家・哲学者として知られる鶴見俊輔さん他界の知らせが入りました。日本の近代化に向き合い、反戦、脱原発を最後まで唱え続けた人でした。
これから紹介するのは、戦後、急速に変わりゆく東京の人間模様を描いた映画です。
映画の舞台となったのは、1953年。この9年後の1964年に、1回目東京オリンピックが開催されました。
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『東京物語』(1953年/日本)
( 英題:Tokyo
Story, 仏題:Voyage à Tokyo 伊題:Viaggio a Tokyo)
—切なく詩情あふれる映像に、世界中の人々が自分の「家族」を見る—
ときは1953年。敗戦から高度経済成長へと向かう過渡期の日本の、とある家族の人間模様を描いたのがこの作品だ。広島県・尾道に住む老夫婦、周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)が東京で暮らす子どもたちを訪ねる。新幹線もない時代、老夫婦にとって広島から東京までの道のりは長い。期待に胸膨らませてたどり着くと、実の子どもたちの出迎えは意外にもそっけない。二人の上京をもっとも喜んでもてなしたのは、戦死した次男の嫁、紀子(原節子)であった。譲り合いながら、いたわりあいながら心を通わせるやり取りを監督・小津安二郎は淡々と描く。
この作品は、世界中の多くの人々の心を動かし続けた。『ベルリン・天使の詩』を撮ったドイツのヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders) 監督もその1人。彼は『東京画』というドキュメンタリー作品の冒頭で『東京物語』の映像を紹介し、こう語る―― 「私は彼の映画に世界中のすべての家族を見る/私の父を、母を、弟を、私自身を見る……小津の映像は20世紀の人間の真実を伝える」
フランスのレジス・ヴァルニエ(Régis Wargnier)監督も、2007年フランス映画祭(Festival du
film français au Japon 2007)に来日した際、この作品について触れた。「私は、映画を通して、日本を学んできました。『東京物語』
では、日本の日常生活を覗くこともできれば、日本の魂というべき、奥深い心の部分、その両方を知ることができます」
フランス映画祭2007で来日したレジス・ヴァルニエ監督 (2007年3月撮影) |
21世紀となった今、この作品は私たちに何を伝えるのだろうか。
とみの葬式の後、ともに伴侶に先立たれた周吉と紀子がこんな会話を交わす。
死別した後も息子の写真を部屋に飾る紀子を「いい人だ」と言う周吉に、紀子はこう答える。「そんなことありません。私、ずるいんです」と。1日が何事も過ぎていくのがさびしい、夫を思い出さない日さえある。それを義母に言えなかった自分はずるいのだと。周吉は静かにつぶやく。「やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で……妙なもんじゃ。自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方がよっぽどわしらにようしてくれた。いやあ、ありがとう」。
血がつながっていることで、ひとつ屋根の下で暮らしていることで、それだけで家族はでき上がるのだろうか? さびしさの意味を知り、支え合っていきたいと願う1人ひとりが、小さな日々の生活を共感と励ましで少しずつ積み上げていくことで、はじめて「家族」という共同体は形を成すのだと、作品は語っているように感じる。
だから、私たちは、努力することをやめてはいけないのだと思う。与えられた環境(血がつながっていること、職場や学校が同じこと)に甘えることなく、少しずつ、少しずつ1からの「関係」を築いていくことを。
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21世紀のTokyo (東京)が、訪れる海外の人たちに多くのHope (希望)を与えることができますよう。
Tokyo 2020 Olympic will start in 5 years.
I hope TOKYO welcomes many visitors from
abroad with cordial hospitality, not with a fake smile.
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