2018年1月26日金曜日

『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』(Gauguin - Voyage de Tahiti)

首都圏でもこの寒さ!
南の島に思いを馳せると、不思議な心地よさが体中を走ります。
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『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』(原題:Gauguin - Voyage de Tahiti)

  芸術家というのは、どうしていつもこうなんだろう。貧しくて孤独、いつも愛を渇望し、作品が賞賛されたとしても、人間としてはうとまれる……ポール・ゴーギャン(ヴァンサン・カッセル)も例外ではなかった。パリで株式仲介人として働いていた頃のポールは、妻と子どもたちにも恵まれ、満たされているかのように見えた。しかし、1882年、株式市場の大暴落は、彼に大きなチャンスを与えた。画家として生きる道だ。しかしそのチャンスには、苦しみや孤独がもれなくついてくる。家族から見放され、また、同業の芸術家たちからも奇異な目で見られるようになったポールが求めた地は、ポリネシアのタヒチだった。


© MOVE MOVIE -  STUDIOCANAL  - NJJ ENTERTAINMENT    


 より野生的なもの、より神秘的なものを求めて、島の中心地パペエテからさらに奥へ奥へと向かうポール。そしてついに、彼が思い描く楽園にたどり着き、理想の女性、テフラ(原音はテハアマナ)(ツイー・アダムス )と出会う。村の長の声かけで、見つめ合う2人。テフラはポールを気に入ったらしい。母親は、ポールに告げる。「月の満ち欠けが一回りしても幸せにできなければ娘は去る」と。西洋文明に飼いならされていない奔放で無垢な少女は、ポールの創作にとってなくてはならないミューズとなり、孤独な彼の心に寄り添うイヴとなった。絵筆で魔法をかけるように、ポールは斬新な絵画を生み出していく。しかし、南の小島の生活にも金は必要で、彼を貧しさから解放することはなかった。港で働き、彫刻を堀り、必死で生活の糧を得ようとするポールのそばで、テフラの心はゆらいでいく。「私も白い服を来て教会に行きたい」とねだるテフラの罪のない言葉が痛い。
  映画で描かれるポールは「芸術に心奪われた男」というより、「愛を求め続ける不器用な男」に思えてならない。なぜ、彼はフランスから遠く離れたタヒチまで向かわなければならなかったのだろうか。映画を観た後、『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(D'où Venons Nous Que Sommes Nous Où Allons Nous)という、彼の作品の名が胸をよぎった。


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<本ブログ内リンク>
ヴァンサン・カッセル主演の他の作品

『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』(原題:Mon Roi

『たかが世界の終わり』 (原題:Juste la fin du monde 



<公式サイト>
『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』



2018127日(土)より、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他全国順次ロードショー

主演:ヴァンサン・カッセル
監督:エドゥアルド・デルック  
脚本:エドゥアルド・デルック、エチエンヌ・コマール、トマ・リルティ   
撮影:ピエール・コットロー
音楽:ウォーレン・エリス
2017/ フランス/ 102/カラー/原題:Gauguin Voyage de Tahiti
後援:タヒチ観光局  配給:プレシディオ