2017年3月20日月曜日

『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』(Mon Roi)

現在上映中の『たかが世界の終わり』では、ヴァンサン・カッセルが、不器用で繊細な主人公の兄を演じています。そんな彼が出演するもうひとつの作品が、3/25から公開されます。違いすぎる二つの役柄ですが、どちらもさらりと演じ分けてしまうヴァンサン・カッセルに役者としての器の大きさを感じます。

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『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』(原題:Mon Roi


「ありのままの俺に惹かれたんじゃないのか?だったら、俺のありのままを受け入れろ」
自分の欠点をさらけ出した恋人からこう言われたら、あなたならどうしますか。
すべてを包み込んで抱きしめるか?
甘える相手を振り切って、次の一歩を歩き始めるか?
恋愛に正解はない。
この映画の主人公・トニー(エマニュエル・ベルコ)もまた、悩みながら、学びながら、そのときどきで、自分にとって最良と思う決断を重ねる。


© 2015 / LES PRODUCTIONS DU TRESOR – STUDIOCANAL


弁護士を営み、容姿もライフスタイルも地味なトニーが、離婚して傷ついた後に出会った男性は、レストラン経営者として華やかな生活を送るジョルジオ(ヴァンサン・カッセル)だ。運命に導かれるかのように恋に落ちる二人。だが、穏やかな幸せを望むトニーは、ジョルジオが招く嵐に巻き込まれ、疲弊していく。
「私は、愛も苦しみもほしくない。波打つ人生はいや、平らな人生がいいの」と訴えるトニーにジョルジオはこう応える。「波を打たない心電図は、死んでるのと同じだ!」
苦しみも喜びも分ち合いたいと願いトニー。楽しい時間だけを共有し、自分の逃げ場を確保したいと主張するジョルジオ。2人の間に生まれた息子、シンドバッドの成長が、2人が過ごす10年という歳月を体現してくれる。


© 2015 / LES PRODUCTIONS DU TRESOR – STUDIOCANAL


41回セザール賞主要8部門にノミネートされ、第68回カンヌ国際映画祭では、主演のエマニュエル・ベルコが女優賞を獲得。
映画は、トニーがスキー場で怪我をするシーンから始まる。
「人はときどき、自分が見えなくなるときがある。そしてやけに急いだり、後ろを振り返らず転倒して、大けがをするのよ」
リハビリのために訪れたセンターの理学療法士は、まるでヒーリングかカウンセリングのように、穏やかにトニーに語る。そして、ある専門書の一節を読む。「ヒザの痛みは、現状を否定する心理と連動する。治癒においても同じ心理的道筋をたどる」。
フランス映画で自然に語られているけれど、この思想は、ある意味とても日本的だ。こんな始まりを描けるのは、監督・脚本を手がけたのが女性であるマイウェンだったからではないかと感じる。



© 2015 / LES PRODUCTIONS DU TRESOR – STUDIOCANAL


<本ブログ内リンク>

『たかが世界の終わり』

<公式サイト>
『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』

68回 カンヌ国際映画祭 女優賞受賞
41回 セザール賞 主要8部門ノミネート

監督: マイウェン
製作: アラン・アタル
脚本: マイウェン
撮影: クレール・マトン
出演:ヴァンサン・カッセル エマニュエル・ベルコ  ルイ・ガレルソラル
イジルド・ル・ベスコハベット  クリステル・サン=ルイ・オーギュスタン ほか

原題:MON ROI/2015年/フランス/126分/仏語/日本語字幕:丸山垂穂/R15+/
配給・宣伝:アルバトロス・フィルム、セテラ・インターナショナル/
宣伝協力:テレザ、ポイント・セット

2017325日(土)

YEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開

『たかが世界の終わり』 (Juste la fin du monde )

心うきうき。もうすぐ桜も花開きます。
今日、320日は『春分の日』。そして『フランコフォニーの日』でもあります。
「フランコフォニー」というのは、フランス語圏の国々や、フランス語を話す人たちの共同体のことです。フランス語の学習を始めたばかりの人も、フランス語を話せるようになりたいと思っている人も、「フランコフォニーの日」は、あたたかく迎え入れてくれます。

フランコフォニーのひとつであるカナダ・ケベック州の気鋭の映画監督、グザヴィエ・ドランの新作が日本で上映されています。

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『たかが世界の終わり』  (仏題:Juste la fin du monde )


                      ©Shayne Laverdière, Sons of Manua 


家は、安らぎの港ではない
オープニングのシーンで、フランスの歌姫・カミーユが英語で歌う歌詞がいたい。血が通うことのない、空虚な家族のありさまが淡々と描写される歌を、字幕が追いかける。
しかし、この映画で描かれるのは、カミーユの歌のような家族でありながら、そうではない。この映画の登場人物は、誰もが、「愛されたい、愛し合いたい」という思いに溢れているからだ。
「私はあなたを理解できない。でも、あなたを愛している。この思いは誰にも奪えないのよ」と、息子のルイ(ギャスパー・ウリエル)に寄り添う母・マルティーヌ(ナタリー・バイ)の言葉がそれを物語っている。

ゲイであるルイは、家を出て作家として成功する。家に帰ることはなかったが、誕生日の絵葉書だけは家族に送り続けていた。そしてある日、自分がもうすぐ死に行く身であることを告げに、12年ぶりに帰郷する。
「私はあなたを理解できない。でも、あなたを愛している。この思いは誰にも奪えないのよ」と、息子のルイ(ギャスパー・ウリエル)に寄り添う母・マルティーヌ(ナタリー・バイ)の言葉がそれを物語っている。
ゲイであるルイは、家を出て作家として成功する。家に帰ることはなかったが、誕生日の絵葉書だけは家族に送り続けていた。そしてある日、自分がもうすぐ死に行く身であることを告げに、12年ぶりに帰郷する。

©Shayne Laverdière, Sons of Manua 

結婚して子を授かり、地道な仕事で生計を立てる兄・アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)。
引っ込み思案ながらも、ルイの真意を読み取り、夫・アントワーヌとの関係を案じる兄嫁・カトリーヌ(マリオン・コティヤール)。
幼い頃、家を出てしまった兄との距離感に迷いながらも、ルイへの憧れを素直に伝えるシュザンヌ(レア・セドゥ)。



©Shayne Laverdière, Sons of Manua 


そして、騒がしく情にあつい母・マルティーヌ。
テーブルを囲む様子は、決して和気あいあいというわけではない。アントワーヌはいつも不機嫌で、母に妻に妹に、粗暴な言葉を投げかける。そして、その粗暴な態度は、ルイにより強く向けられていく・・・・・・この映画でもっとも誤解されやすく、もっとも愛情に敏感なのは、アントワーヌではないかと、はっと気づく瞬間がある。
不器用でお互いを傷つけてしまう、痛々しい家族模様。それは、もしかすると、波風立たないように取り繕う家族よりもずっとあたたかい居場所になり得るかもしれない。

<本ブログ内リンク>
過去に掲載した、グザヴィエ・ドラン監督作品です。

再)わたしはロランス(フランス映画祭2013上映作品)

ケベック発のショートフィルム(グザヴィエ・ドラン主演作品の紹介も)

『トム・アット・ザ・ファーム』

『エレファント・ソング』

<公式サイト>

『たかが世界の終わり』

監督: グザヴィエ•ドラン
製作:ナンシー・グラン  グザヴィエ・ドラン  シルバン・コルベイユ  ナタナエル・カルミッツ
出演:ギャスパー•ウリエル  レア•セドゥ  マリオン•コティヤール  ヴァンサン•カッセル
   ナタリー•バイ  ほか


配給: ギャガ

2017年3月19日日曜日

上馬ガソリンアレイという時代 その6 (Kamiuma Gasoline Alley)

上馬ガソリンアレイという時代 その6

上馬ガソリンアレイ
かつて、そんな名のライブハウスが東京にあった。
そこから、さらに大きなステージへと旅立ち、大物ミュージシャンとなった人がいた。
うだつが上がらず、それでも音楽活動を続ける人もいた。
音楽の道を断念し、新しい道に進んだ人もいた。

はっきりしているのは、この上馬ガソリンアレイを立ち上げた進士晃一さんは、この小さなライブハウスのステージに立ったすべての人に、彼の情を注いだということだ。
「情」って何のことだろう。
人を愛する思いのことだろうか?
人に愛されたいという思いのことだろうか?
よくわからないけれど、進さん(しんさん…進士晃一さんのことを出演者はこう呼んでいた)は、「情に厚い人」と言って間違いなかったと思う。

進さんのことを恩人のように慕う人もいれば、一方でものすごく嫌う人もいたと聞く。
人間関係っていうのは、本人同士の問題もあるから、関わりのない第三者が余計なことを言うのは無粋というもの。
それでも、このことには触れておきたい。
進さんは、決して人の悪口は言わなかったそうだ。
人を悪く言わない。その反動なんだろうか。よく酒を飲んでいた。
酒を飲まずにはいられないような思いがあったんだろう。
さみしかったんだろうな……などと、平たい言葉でくくってしまうこと自体、何だか
さみしい。

満たされない思いを抱えた人だったから、満たされない思いを音楽に注いだミュージシャンたちの気持ちを受け止められたんだろう。
そんな、止まり木のようなライブハウスが消滅しつつある今が、悲しい。

進士晃一さんがこの世を去ってから、今日(2017319日)で5年の歳月が流れた。


  現在、上馬ガソリンアレイ卒業生(出演者の方々)の情報を、ツイッター・Facebookなどで収集しています。この記事をお読みの方で、上馬ガソリンアレイのマスター・進士晃一さんをご存知の方、ぜひお話をお聞かせください。




<本ブログ内リンク>

上馬ガソリンアレイという時代 その1

上馬ガソリンアレイという時代 その2

上馬ガソリンアレイという時代 その3(杉山清貴さん)


上馬ガソリンアレイという時代 その4

上馬ガソリンアレイという時代 その5(ガソリンカレーの思い出)