『作兵衛さんと日本を掘る』
2011年3月11日。地震と津波が東日本を襲った。そして、私たちの生活を豊かにしてくれていると思われていた原子力発電所が、私たちの脅威と変わった。炭鉱の人々の生活を綴った山本作兵衛さんの絵と日記がユネスコの世界記憶遺産として登録されたのは、その2か月程後の、2011年5月25日のことだった。
私たちの生活に「エネルギー」は欠かせない。エネルギーが多ければ、一見、生活は豊かになったように感じられる。でも、その豊かさを底辺で支える人たちがいつの時代にもいた。作兵衛さんが伝えてくれるのは、そんな人たちの生き様だ。
底辺、と表現したけれど、その人たちは本当に私たちの底辺に位置するのだろうか?
作兵衛さんの絵を見ていると、労働者の人たちの表情が仏様のようにも見えるし、その反面、会ったこともないのに、おっとさん、おっかさんと呼びたくなるような郷愁をおぼえる。
「最も過酷な労働のはずなのに、男たちは身震いするほどたくましく、女たちは艶っぽい」と原画を撮影したときの気持ちを語る熊谷博子監督。彼女はこの映画の制作に6年もの歳月をかけた。筑豊に何度も足を運び、地元の人たちとの絆を少しずつ築いた。そこで耳にしたのは、敬意されるべきはずの人たちに対する差別感情への失望と怒りだった。
当時、連作『ルーレット』が国際的な評価を受けていた画家の菊畑茂久馬さんは、作兵衛さんの絵を前に、筆を折ったという。「下手と言ったら下手で、稚拙すぎると言えばすぎる。でも、なぜだかたまらんのですよ……じっと見ていたら涙が出てた」と。
今一度、あらためて考えてほしい。著名な画家でも学者でもない、「九州のおじいちゃん」の残した作品が、世界の宝物になったという事実を。それがどれほどのことか。このおじいちゃんは、遠い遠い国にいた人ではなく、私たちと同じ日本に住んで、92歳まで生きた。作兵衛さんが天に召されたのは、1984年12月19日、日本がバブル景気に浮かれる少し前のことだった。
<公式サイト>
『作兵衛さんと日本を掘る』