「表現の自由」とは何か?
2015年1月、フランスの新聞社『シャルリ・エブド』襲撃事件が、2014年5月には、日本で『美味しんぼ』が休載に追い込まれる事件がありました。
1960年代に製作され、多くの弾圧を受けたこの映画もまた、「表現の自由」を私たちに問いかけてくれます。
*******************************************************
チェコ・ヌーヴェルバーグ『ひなぎく』その3
(原題:Sedmikrásky/チェコ・スロヴァキア/1966年/75分)
監督:ヴェラ・ヒティロヴァー(Věra Chytilová)
配給:チェスキー・ケー
「自粛」。
ときおり、そのまま ”jishuku”
と書かれ、「それって何?」的な外国語の記事にされるほど、日本的な習慣のひとつ。
表向きは「自らの意志」、でも実情は、「無理強い」に等しい。なぜなら、「NO」という選択肢は存在しないから。
日本のジャーナリズムにも、アートシーンにも、jishukuは存在する。だからいつも思う。「報道の自由」は「表現の自由」は「言論の自由」はどこへ行ったの?と。
いつからだろうか。Jishuku は少しずつ私たちの生活に浸透し、もともと「NO」と言いづらかったのが、今ではまったく言えなくなってしまった。
「思いやり」は大切だ。その心が「自粛」を生む。それが健全な流れだ。でも今は、心に余裕がなく、何かにおびえ、攻撃的になった人たちが、周りにjishukuを強要するようになってしまった。
こんな時代だからこそ、この映画を観てほしいと思う。旧ソ連の圧力のなか、検閲をくぐりぬけて世界中にファンを生み出した、チェコ・ヌーヴェルバーグの傑作『ひなぎく』。試写では、「国家予算の無駄遣い」と言われ、国会議員の間で議論されたほどだった。それでも、チェコの庶民はヒティロヴァー監督の皮肉たっぷりのユーモアに笑った。「笑う野獣」と言われたチェコの人々だけではない。海外の多くの映画人もまた、彼女から多大な影響を受けた。
弾圧を受けながらもユーモアを受け入れる心の余裕があったチェコの人たちのような、強さとおおらかさを持ちたいと思う。
©:State
Cinematography Fund
<本ブログ内リンク>
『ひなぎく』 その1
『ひなぎく』その2
<公式サイト>
映画『ひなぎく』
「ユジク阿佐ヶ谷」での上映予定
11/28(土)~12/11(金)レイトショー20:30〜
料金:1,000円(ラピュタの半券で800円)
*昼の上映は『クーキー』、チェコアニメ(クルテク、アマールカ、ポヤル短篇、
ぼくらと遊ぼう!、『バヤヤ』『真夏の夜の夢』、コウツキー短篇、パヴラートヴァー短篇)