2015年11月26日木曜日

『ひなぎく』(Sedmikrásky ) その3

「表現の自由」とは何か?
2015年1月、フランスの新聞社『シャルリ・エブド』襲撃事件が、20145月には、日本で『美味しんぼ』が休載に追い込まれる事件がありました。
1960年代に製作され、多くの弾圧を受けたこの映画もまた、「表現の自由」を私たちに問いかけてくれます。

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 チェコ・ヌーヴェルバーグ『ひなぎく』その3
(原題:Sedmikrásky/チェコ・スロヴァキア/1966/75分)
監督:ヴェラ・ヒティロヴァー(Věra Chytilová
配給:チェスキー・ケー


 ©State Cinematography Fund

「自粛」。
 ときおり、そのまま jishuku と書かれ、「それって何?」的な外国語の記事にされるほど、日本的な習慣のひとつ。
 表向きは「自らの意志」、でも実情は、「無理強い」に等しい。なぜなら、「NO」という選択肢は存在しないから。
 日本のジャーナリズムにも、アートシーンにも、jishukuは存在する。だからいつも思う。「報道の自由」は「表現の自由」は「言論の自由」はどこへ行ったの?と。
 いつからだろうか。Jishuku は少しずつ私たちの生活に浸透し、もともと「NO」と言いづらかったのが、今ではまったく言えなくなってしまった。
「思いやり」は大切だ。その心が「自粛」を生む。それが健全な流れだ。でも今は、心に余裕がなく、何かにおびえ、攻撃的になった人たちが、周りにjishukuを強要するようになってしまった。
 こんな時代だからこそ、この映画を観てほしいと思う。旧ソ連の圧力のなか、検閲をくぐりぬけて世界中にファンを生み出した、チェコ・ヌーヴェルバーグの傑作『ひなぎく』。試写では、「国家予算の無駄遣い」と言われ、国会議員の間で議論されたほどだった。それでも、チェコの庶民はヒティロヴァー監督の皮肉たっぷりのユーモアに笑った。「笑う野獣」と言われたチェコの人々だけではない。海外の多くの映画人もまた、彼女から多大な影響を受けた。
弾圧を受けながらもユーモアを受け入れる心の余裕があったチェコの人たちのような、強さとおおらかさを持ちたいと思う。




©State Cinematography Fund



<本ブログ内リンク>
『ひなぎく』 その1

『ひなぎく』その2 


<公式サイト>

映画『ひなぎく』 


「ユジク阿佐ヶ谷」での上映予定

11/28()12/11()レイトショー20:30〜 
料金:1,000円(ラピュタの半券で800円)
*昼の上映は『クーキー』、チェコアニメ(クルテク、アマールカ、ポヤル短篇、
ぼくらと遊ぼう!、『バヤヤ』『真夏の夜の夢』、コウツキー短篇、パヴラートヴァー短篇)

『わたしの名前は…』(Je m'appelle Hmmm...)

『わたしの名前は…』(原題:Je m'appelle Hmmm.../ 2013/フランス)
監督:アニエス・トゥルブレ


  
©Love streams agnès b. Productions


こどもは親を選べない。
生まれたその瞬間から、こどもたちには決められた父親と母親の存在がある。

そして、親もこどもを選べない。
ただ、こどもとどのように関わっていくのか、決めることはできる。
こどもに何を与えるのか、親はそれを自らの意志で選択できる。
生きることの喜びか、それとも生きることの苦しみか。

この映画を観ていると、その非情を痛感する。

セリーヌの父親がトラック運転手のピート(ダグラス・ゴードン)だったら...と、映画を観終わってから、何度も何度もそのことを仮定してみる。反復したところで映画の筋書きが変わるわけじゃないのに。


©Love streams agnès b. Productions


セリーヌとピートが教会を訪れるシーンがある。
そこに、救いの光が見えるような気がした。
ピートは神のような愛でセリーヌを包み込んだし、セリーヌはピートにとって、天使のような存在だったから。

ファッションデザイナー、アニエスベーが、アニエス・トゥルブレという本名で、初めて手がけたこの映画は、10年以上前に新聞で目にした記事からインスピレーションを得たという。セリーヌのモデルとなった少女は、今どんな生活を歩んでいるのだろうか。

<公式サイト>

わたしの名前は...



©Love streams agnès b. Productions

配給:アップリンク


20151031日(土)、渋谷アップリンク、角川シネマ有楽町ほか、全国順次公開

再)『東京物語』(Tokyo Story)

原節子さん他界の知らせが入りました。天に召されたのは、2015年9月5日。
小津安二郎監督との再会を喜んでいらっしゃる頃でしょうか……

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再)『東京物語』(1953/日本)
英題:Tokyo Story,  仏題:Voyage à Tokyo  伊題:Viaggio a Tokyo)  


—切なく詩情あふれる映像に、世界中の人々が自分の「家族」を見る—

 ときは1953年。敗戦から高度経済成長へと向かう過渡期の日本の、とある家族の人間模様を描いたのがこの作品だ。広島県・尾道に住む老夫婦、周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)が東京で暮らす子どもたちを訪ねる。新幹線もない時代、老夫婦にとって広島から東京までの道のりは長い。期待に胸膨らませてたどり着くと、実の子どもたちの出迎えは意外にもそっけない。二人の上京をもっとも喜んでもてなしたのは、戦死した次男の嫁、紀子(原節子)であった。譲り合いながら、いたわりあいながら心を通わせるやり取りを監督・小津安二郎は淡々と描く。
 
 21世紀となった今、この作品は私たちに何を伝えるのだろうか。
とみの葬式の後、ともに伴侶に先立たれた周吉と紀子がこんな会話を交わす。
死別した後も息子の写真を部屋に飾る紀子を「いい人だ」と言う周吉に、紀子はこう答える。「そんなことありません。私、ずるいんです」と。1日が何事も過ぎていくのがさびしい、夫を思い出さない日さえある。それを義母に言えなかった自分はずるいのだと。周吉は静かにつぶやく。「やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で……妙なもんじゃ。自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方がよっぽどわしらにようしてくれた。いやあ、ありがとう」。

血がつながっていることで、ひとつ屋根の下で暮らしていることで、それだけで家族はでき上がるのだろうか? さびしさの意味を知り、支え合っていきたいと願う1人ひとりが、小さな日々の生活を共感と励ましで少しずつ積み上げていくことで、はじめて「家族」という共同体は形を成すのだと、作品は語っているように感じる。

だから、私たちは、努力することをやめてはいけないのだと思う。与えられた環境(血がつながっていること、職場や学校が同じこと)に甘えることなく、少しずつ、少しずつ1からの「関係」を築いていくことを。

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21世紀のTokyo (東京)が、訪れる海外の人たちに多くのHope (希望)を与えることができますよう。
  
Tokyo 2020 Olympic will start in 5 years. 



I hope TOKYO welcomes many visitors from abroad with cordial hospitality, not with a fake smile.

2015年11月22日日曜日

再)『リトル・ロマンス』(A LITTLE ROMANCE)

11月22日は、「いい夫婦の日」。この日になると、必ず思い出すのが、この映画のこの台詞です。永遠の愛があることを信じて……

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再)『リトル・ロマンス』(原題:A LITTLE ROMANCE1979年米)

監督:ジョージ・ロイ・ヒル(George Roy Hill
音楽:ジョルジュ・ドルリュー(Georges Delerue

「ローレン…ぼくをボギーと呼んでくれないか?」
「なぜ?」
「ボギーとローレン。2人は、お互いにとってかけがえのない存在だったんだ」

 ダイアン・レインの映画デビュー作『リトル・ロマンス』のワンシーン。
 ローレン(ダイアン・レイン)にひとめぼれした少年・ダニエル(テロニウス・ベルナール)が、初めてローレンに声をかけたときの会話だ。
 ボギーは、ハンフリー・ボガートのこと。そして、ローレンは、ローレン・バコール。
 映画大好き少年のダニエルが、「ローレン」という名を聞いてとっさに出たのがこの口説き文句だ。ハンフリー・ボガートとローレン・バコールはおしどり夫婦で知られ、ボギーががんで他界するまで、2人は連れ添ったと伝えられる。


 
永遠の愛を信じようとする少年少女を描いた『リトル・ロマンス』。
 十代の2人は親に告げずに、フランス・パリからイタリア・ベニスまで向かう。駆け落ちではない。ベニスの「ためいきの橋」の下で日没の瞬間にキスをすると2人は永遠に結ばれるという「サンセット・キス」の伝説を信じ、実現するためだ。
 よくあるロマンス映画に聞こえがちだが、ジョージ・ロイ・ヒル監督の手腕はこの作品を時代を超えた名作につくり上げた。フランス、イタリアの情景も美しいが、流れる音楽はもっと美しい。そして、何よりも、この名優の存在に敬服。2人の旅路に付き添う老紳士、ユリウスを演じるローレンス・オリヴィエだ。スリという、決して自慢できる職業ではユリウスだが、人生の先輩としての責任感を見習いたい。若者たちに夢を与え、夢を忘れないことの大切さをユリウスは教える。そして、永遠の愛が実在することも。 


 「ぼくをボギーと呼んで」
 2人の時間は、この言葉で始まり、この言葉で終わる。


2014年8月12日、ローレン・バコールさん他界のニュースが報じられたとき、まっさきに思い出したのは、彼女の主演作品でなく、この映画だった。

 天国の門をくぐったローレンは、まっさきにボギーを探しに向かうのだろうか。
永遠の愛がほんとうに存在することを、信じていたい。



『リトル・ロマンス』
DVD  2,500+税 
発売・販売元:ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント



2015年11月20日金曜日

『イミテーション・ゲーム / エニグマと天才数学者の秘密』(The Imitation Game) その2

赤、黄色、さまざまな色の葉が野や町を彩っています。
日本の紅葉ほど多様性に富んだ色彩は、世界的にも類をみないと言われています。
色づく木々の葉をめでながら、「多様性」のすばらしさを考えていきたいと思います。

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『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』その2
(原題:The Imitation Game/2014/米英合作)
〜第87回アカデミー賞脚色賞受賞〜

  この映画で主人公・アラン・チューリングを演じたベネディクト・カンバーバッチは、彼の2人の姪と話したときのことをこう語っている。「まだ幼かった彼女たちにとって、アラン・チューリングは忘れられない存在だったそうだ。自分たちを一人前の人間として接してくれていたから」と。まだ、こどもが大人の前で自由に口をきくことが許されなかった時代でも、チューリングは彼女たちひとりひとりの人格を尊重して接し、彼女たちの声に耳を傾けたのだろう。「彼は決めつけることをしない人だった」。
 (※参考文献:ビッグイシュー日本版257号)

 映画の中でも、世間の偏見にしばられず、その人の本質を大切にする彼の姿が描かれる。20世紀前半の英国も、当時の日本同様、女性の立場は低く「女は結婚してこどもを産むもの」という意識が強かった。そんな時代の中、ジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)のずばぬけた数学的才能をいちはやく認め、彼女の力になろうとするアラン・チューリングの姿は純粋で、気高い。

(C) 2014 BBP IMITATION, LLC

 チューリングを気嫌いし、露骨に敵意をむき出しにするマシュー・グード(ヒュー・アレグザンダー)を、自分が人事権を握った後もチームから外さなかったところもまた、心に残る。
このマシュー・グードの心の動きが印象的だ。彼が映画の後半でどのような行動をとったのか……彼の存在が、作品に厚みを加え、青春ドラマのようなさわやかさを残してくれる。
 
 この映画で、第87回アカデミー賞脚色賞を受賞したグレアム・ムーアさんは、受賞のスピーチでこう語っている。
「ぼくは、十代の頃、自殺未遂を体験しました。そして今、ここに立っています」
そして、今の生活になじめないと思っている人も大丈夫「君の居場所はここにあるから」と結んだ。同性愛者であり、アスペルガー症候群でもあったのではないかと言われるアラン・チューリングの半生。それを見事な脚本に仕上げることができた理由が、少しわかったような気がするスピーチだった。

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「多様性」が、パリの同時多発テロの脅威に負けませんよう。

 
<本ブログ内リンク>
『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』その1
http://filmsandmusiconmymind.blogspot.jp/2015/11/imitation-game.html


<公式サイト>

『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』

http://imitationgame.gaga.ne.jp
 
出演:ベネディクト・カンバーバッチ「SHERLOCK

   『スター・トレック イントゥ・ダークネス』 

キーラ・ナイトレイ『アンナ・カレーニナ』

マシュー・グード『イノセント・ガーデン』

マーク・ストロング『裏切りのサーカス』

監督:モルテン・ティルドゥム  

脚本:グラハム・ムーア  

原作:アンドリュー・ホッジス「Alan Turing : The Enigma


配給:ギャガ 

2015年11月15日日曜日

再)『バベルの学校』(La cour de Babel)

20151113日(金)の夜(日本は14日早朝)、フランスのパリでISによる同時多発テロが発生、多くの命が奪われました。
パリと言えば、今年の1月7日にも『シャルリーエブド(Charlie Hebdo)襲撃事件』があったばかりです。

パリは、世界は、多様性を認められない社会になっていくのでしょうか。
そんなことがあってはならない、あってほしくないと強く願います。

2015年1月から日本で上映が始まった『バベルの学校』は、フランス在住の女性映画監督によるドキュメンタリーです。パリ市内の学校での生徒たちのようすが撮影されたこの作品もまた、パリのありのままの姿の一部です。

どうか、パリが時代を逆行しませんよう。

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映画の中のこどもたち その4


再) 『バベルの学校』(原題:La cour de Babel/ 2013/)
監督:ジュリー・ベルトゥチェリ
   
 映し出されるのは、”Classe d'accueil”(クラスダカイユ)と呼ばれるクラスの生徒たち。他国からフランスに移住してきた、フランス語を母語としないこどもたちが、不自由なくフランスで生活し、フランスで教育を受けることができるよう、フランス語学習を強化した特別クラスのことだ。
 ジュリー・ベルトゥチェリ監督は、自宅のすぐそばにある学校に通い続けた。週に数回カメラをかついで出向き、8ヶ月ほどの学校生活を撮り上げた。

 年代は11歳〜15歳。アイルランド、セネガル、ブラジル、モロッコ、中国……出身国も違う、言語も違う、宗教も違うといった、さまざまな事情を抱える24人の生徒たちと、彼らの自立と成長を見守るブリジット・セルヴォニ先生との交流、ベルトゥチェリ監督がとらえたのは、そのありのままの姿だった。


(c)pyramidefilms

 くやし涙を流す少女。ブリジット先生はひたすら彼女に尋ねる。
 「あなたはどうしたいの?」
 ブリジット先生は、決して「こうしなさい」とは言わない。

「先生は、お母さんみたい」。そんな発言をする生徒もいた。

 フランス映画祭2014で来日した際、「教師としての心がけ」についての観客からの質問に、ブリジット・セルヴォニ先生はこう答えた。
「第一に、生徒たちの声を聞くことです。そして、生徒を励ますこと。その子の価値を引き出して自信を持たせてあげること、この3つが大切なことです」。

 あるとき、宗教についてのディスカッションが行われる。出身がばらばらの生徒たちは、宗教もそれぞれ違う。なかには、家族の中でも違う宗教が混在しているとぼやく生徒も……宗教について語ることの危うさは、どの国も同じだ。フランスでは、基本的に宗教を教育の場に持ち込むことを禁止している。それをふまえた上で、ブリジット先生は、あえて宗教について生徒たちが自ら議論する場を設けた。それは、あらかじめお膳立てされた場ではない。生徒たちから自然に発生した疑問を、ブリジット先生が導いていった結果、たどりついた場だ。

(c)pyramidefilms

 ある生徒が言う。
「地球はわからないことばかり!地球という名前を『?(=わからないことだらけ)』という名前に変えてしまえばいいのに」。
 彼女の声には、戸惑いというよりも明るさが感じられ、さわやかな印象が残る。

 先生も生徒たちも、素敵に映っているのは、ジュリー・ベルトゥチェリ監督を心から信頼していたからなのだろう。自然に笑い、自然に泣いている彼らへの、監督の温かいまなざしに心いやされる。こんな大人たちがもっともっと増えていきますよう。そして、自分もその1人になれますよう。



<本ブログ内リンク>

『バベルの学校』(La cour de Babel) その2


<公式サイト>
バベルの学校

※2015年12月5日(土)より12/11(金)まで、大阪のシアターセブンでの上映が予定されています。


2014年フランス映画祭で来日したブリジット・セルヴォニ先生とジュリー・ベルトゥチェリ監督
(2014年6月、有楽町朝日ホールにて撮影)