原節子さん他界の知らせが入りました。天に召されたのは、2015年9月5日。
小津安二郎監督との再会を喜んでいらっしゃる頃でしょうか……
小津安二郎監督との再会を喜んでいらっしゃる頃でしょうか……
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再)『東京物語』(1953年/日本)
( 英題:Tokyo Story, 仏題:Voyage à Tokyo 伊題:Viaggio a Tokyo)
—切なく詩情あふれる映像に、世界中の人々が自分の「家族」を見る—
ときは1953年。敗戦から高度経済成長へと向かう過渡期の日本の、とある家族の人間模様を描いたのがこの作品だ。広島県・尾道に住む老夫婦、周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)が東京で暮らす子どもたちを訪ねる。新幹線もない時代、老夫婦にとって広島から東京までの道のりは長い。期待に胸膨らませてたどり着くと、実の子どもたちの出迎えは意外にもそっけない。二人の上京をもっとも喜んでもてなしたのは、戦死した次男の嫁、紀子(原節子)であった。譲り合いながら、いたわりあいながら心を通わせるやり取りを監督・小津安二郎は淡々と描く。
21世紀となった今、この作品は私たちに何を伝えるのだろうか。
とみの葬式の後、ともに伴侶に先立たれた周吉と紀子がこんな会話を交わす。
死別した後も息子の写真を部屋に飾る紀子を「いい人だ」と言う周吉に、紀子はこう答える。「そんなことありません。私、ずるいんです」と。1日が何事も過ぎていくのがさびしい、夫を思い出さない日さえある。それを義母に言えなかった自分はずるいのだと。周吉は静かにつぶやく。「やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で……妙なもんじゃ。自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方がよっぽどわしらにようしてくれた。いやあ、ありがとう」。
血がつながっていることで、ひとつ屋根の下で暮らしていることで、それだけで家族はでき上がるのだろうか? さびしさの意味を知り、支え合っていきたいと願う1人ひとりが、小さな日々の生活を共感と励ましで少しずつ積み上げていくことで、はじめて「家族」という共同体は形を成すのだと、作品は語っているように感じる。
だから、私たちは、努力することをやめてはいけないのだと思う。与えられた環境(血がつながっていること、職場や学校が同じこと)に甘えることなく、少しずつ、少しずつ1からの「関係」を築いていくことを。
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21世紀のTokyo (東京)が、訪れる海外の人たちに多くのHope (希望)を与えることができますよう。
Tokyo 2020 Olympic will start in 5 years.
I hope TOKYO welcomes many visitors from abroad with cordial hospitality, not with a fake smile.
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