2015年12月2日水曜日

『ひなぎく』(Sedmikrasky)その4

水木しげるさん、他界のニュース。享年93歳。
戦禍を生き残り、たくましく生き続けた方がまた1人、この世から去っていきました。

誰もが自由にのんびりと生きることができる時代を、妖怪たちを楽しくこわがることができる時代を、私たちの手でつくることをお約束します。
ありがとうございました。

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『ひなぎく』(原題:Sedmikrasky/チェコ・スロヴァキア/1966/75)その4

(現在、「ユジク阿佐ヶ谷」で『ひなぎく』が上映されています。
 2014712日、シアター・イメージフォーラムで『ひなぎく』上映終了後に行われた、チェコ出身のペトル・ホリーさんのトークを再掲載します)


ホリーさんは、ヴェラ・ヒティロヴァー監督の伝記などをもとに、『ひなぎく』製作の撮影秘話や、当時の社会情勢をくせのない日本語で語ってくれた。司会は、配給元であるチェスキー・ケーのくまがいさん。

 1972年生まれのホリーさんは、『ひなぎく』が製作・上映された1966年をリアルタイムで知る世代ではない。それでも、プラハ郊外で育ち、プラハ・カレル大学で学んだ彼には「プラハの春」も「チェコ事件」も、歴史の教科書の中の出来事ではなかった。これらの延長線上に、ホリーさんの日常生活はあったからだ。

ペトル・ホリーさん(2014年7月12日撮影)
 
”ガールズムービー”と呼びたくなるようなポップな作品でありながら、第二次世界大戦の映像が同居するという、大胆不敵さ。激動の時代を生きたヴェラ・ヒティロヴァー監督だからこそ、ここまでのことができたのだろうか。

かつて、ナチのハイドリヒが、チェコの人々を「笑う野獣」と称したそうだ。「それは、チェコの人間にとって、最高の褒め言葉です」とホリーさん。チェコの庶民は、戦争の傷跡が残る60年代にあっても、『ひなぎく』を見て笑った。それだけ、彼らはパワフルだった。しかし、「国」としてのチェコ=政府は、決して笑いを理解することはなかった。後に『ひなぎく』は上映中止、ヴェラ・ヒティロヴァー監督は、長い期間、創作に携わることを許されなかった。

「それでも」とホリーさんは続ける。「ヒティロヴァーさんはその時代を楽しく過ごしたようです」。パワフルな人生を歩んだ彼女は、90年代にくまがいさんの父・粕三平さんの招聘により、お兄さんとの来日も果たしたそうだ。
2014312日、『ひなぎく』の日本再上映を前に天に召されるまで、彼女が過ごした時間のダイナミックさが、ホリーさんとくまがいさんの朗らかなトークから伝わってきた。

チェスキー・ケー くまがいさん(2014年7月12日撮影)



映画『ひなぎく』公式サイト  http://hinagiku2014.jimdo.com



<本ブログ内リンク>
『ひなぎく』 その1

『ひなぎく』その2 

『ひなぎく』その3

<公式サイト>

映画『ひなぎく』 


「ユジク阿佐ヶ谷」での上映予定

11/28()12/11()レイトショー20:30〜 
料金:1,000円(ラピュタの半券で800円)
*昼の上映は『クーキー』、チェコアニメ(クルテク、アマールカ、ポヤル短篇、
ぼくらと遊ぼう!、『バヤヤ』『真夏の夜の夢』、コウツキー短篇、パヴラートヴァー短篇)

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