メリーさんとの再会
『ヨコハマメリー』に寄す
(監督:中村高寛)
費やされた時間は、約10年。
1997年からメリーさんという1人の女性のリサーチを始め、撮り始めたのは1999年頃。
そして、映画が公開されたのは2006年だ。
2023年1月20日、メリーさんにとってゆかりある馬車道の関内ホールで上映会が行われたときは、映画の構想から25年程の月日が経っていた。
22歳の青年だった中村監督も、トークショーに登壇したときには47歳。写真家の森日出夫さんも俳優の五大路子さんも、映画に登場された頃と見た目はほとんど変わらないように見えるけれど、当時のメリーさんの歳に近づきつつある。
写真左から、森日出夫さん、五大路子さん、 中村高寛監督(2023年1月20日撮影)
メリーさんがヨコハマから姿を消したのは1995年。横浜博覧会(YES’89)が終わり、横浜ランドマークタワーが建設され、人々の流れがみなとみらいへ流れつつある過渡期の頃だった。
メリーさんをよく見かけた伊勢佐木町や馬車道の様相が変わり始めたのはこの頃からだろうか。
私が大好きだった馬車道の東宝会館は閉館、。キラキラしていた伊勢佐木町の中心ともいえる横浜松坂屋も閉店した。有隣堂本店は残っているけれど、馬車道にあった文具館はなくなったのがいつかさえ思い出せない。
映画が撮影された頃は、まだ横浜松坂屋が残っていた。五大路子さんがメリーさんに扮して伊勢佐木町を歩くシーン、横に見えたMatsuzakayaの文字が見えたとき、涙ぐんでしまった。
メリーさんをモデルにした舞台『横浜ローザ』を演じる五大路子さんがアメリカで公演で、多くの人のすすり泣く声を聞き「これは、1人の娼婦の話ではなくて、この時代を生きてきたすべての女性たちの舞台だ」と感じたという。日本の戦後史、戦後を生き抜いた女性たちの歴史、それを描いた『横浜ローザ』を“最大公約数”と例えた中村監督は、自身の『ヨコハマメリー』を”最小公倍数”と語る。「自分よりもメリーさんをよく知る人」が多い中で撮影に挑んだ青年にとって、この映画をつくることは相当の覚悟を必要としたと思う。シャンソン歌手の永登元次郎さんは、自分の命を削るようにその姿をカメラに向けている。最後の最後で素顔のメリーさんの穏やかな笑顔をとらえた中村監督のただならぬ尽力……胸が熱くなる。
メリーさんを思う多くの人は、あの表情をみたかったのではないだろうかと思う。
今では海外でも知られるようになった『ヨコハマメリー』。
出回っているものが海賊版でないことを願うばかり。
<本ブログ内リンク>
中村高寛監督作品
『禅と骨』 Zen and Bones
https://filmsandmusiconmymind.blogspot.com/2017/09/zen-and-bones.html
「ヨコハマ」発のもうひとつのドキュメンタリー映画
『毎日がアルツハイマー2』
http://filmsandmusiconmymind.blogspot.jp/2015/07/blog-post_14.html
<公式サイト>
『ヨコハマメリー』
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