2016年8月6日土曜日

『ジョーズ』(原題:JAWS, 1975年米)——クイント船長と原子爆弾

今年もまた、8月6日がやってきました。
今から71年前の今日、ヒロシマに原爆が投下されました。
午前815分のことでした。
毎年、広島ではこの日に、平和記念式典が行われますが、今年(2016年)の開会式は、ちょうど、リオデジャネイロオリンピック開会式の時刻と重なりました。
日系人の多いブラジルで五輪が開催されるということ、私に取って、今年は感慨深いヒロシマの日となりました。

昨年、自らヒロシマを訪れ、折り鶴を届けてくれたオバマ大統領に敬意を表し、今日は、1本のアメリカ映画をご紹介します。

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『ジョーズ』(原題:JAWS, 1975年米)
--悲しい海の男の物語

 男らしい男というのは、どうしてこんなにも悲しいのだろう。女らしい女はたくましいのに…

まだ幼いこどもだった頃に出会った、『ジョーズ』は、私に「映画」という存在がどれだけ人の心に大きな影響を与えてくれるのかを教えてくれた1本だ。大好きな「本」や「音楽」と同じように。

この映画は、私にとって「サメの映画」ではなかった。
「ひとりの海の男の人生を描く映画」だった。
「おじさん」とは、ロバート・ショウ(Robert Shaw)が演じるクイント船長のこと。当時のこどもだった私には、映画の中の人物と実在の人物との境界線がつけられず、「どうしてあのおじさんは、あんな死に方をしなければいけなかったのか」と、こどもなりに戸惑い続けた。(ネタバレです、見ていない人、ごめんなさい)。

 家族もなく、友達もなく、若き日の心の傷を癒そうと、宿敵に向かって生きる男、クイント。金にも学問にも頼らず、自分の経験と勘と執念で、そして小さな1隻の船で冷酷な敵(サメ)に挑もうとする。クイント船長は、巡洋艦インディアナポリスの元乗組員。1945年、インディアナポリスは原子爆弾を積んで目的地へ向かった。その航海で、多くの仲間がサメの犠牲となった。そのときの経験が、クイントをサメ退治へと向かわせた。

あのおじさん、サメのこと、あんなに憎んでいて、復讐したいと思っていて、それが、どうして…… あのおじさん、いちばん望まない死に方をしたんじゃないか、どうして、どうして神様はそんな裁きをくだすの?
そんな「無情」と、人間の「無力」が怖かった。
怖い以上に悲しかった。
  
でも、後になって『スティング』(原題:The Sting1973年米)を見たとき、やりきれない気持ちが少しだけ楽になった。あの「クイントおじさん」がちゃんと元気な姿で出演してくれていたから。(ちょっとだけネタバレ。見ていない人ごめんなさい)

いつからか『スティング』のラストシーンを思い出しながら、こんなことを心でつぶやくようになった。よかったね、クイントおじさん。ちゃんと生きていられてよかったね、と。

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『ジョーズ』といえば、スティーヴン・スピルバーグ監督の出世作として名高い映画です。娯楽映画として申し分のない魅力に溢れています。
でも幼かった私にとって、この映画は「人生を考える」映画でした。
はじめて見たときは、クイント船長が原爆を語るくだりを覚えていませんでした。
(理解できなかったのか、カットされていたのかはわかりません)
そして大人になって再びこの映画を見たとき、クイントというひとりの男の生涯に、「原子爆弾」が関わっていたことを知りました。

多くの人が語るように、原爆は、日本だけの悲劇ではありません。世界の悲劇だと思うのです。

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